境 内
境内のご案内
※境内図は指で拡大できます。
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南門と赤門
法華寺を囲む築地塀(ついじべい)には、皇室とのゆかりを表す5本の線が引かれています。南面の塀に開かれた南門は寺の正門。本堂と同時期に建造された桃山建築の特色豊かな四脚門(よつあしもん)で、重要文化財に指定されています。塀の東端には江戸時代中期に建造された赤門(東門)が開かれています。
- 重要文化財
- 桃山時代
本堂
法華寺本堂は豊臣秀頼公の母・淀殿の寄進により、桃山時代、慶長6年(1601)に再興された建物です。一部に天平や鎌倉の古材を転用しています。伸びやかな曲線を描く屋根や左右の連子窓(れんじまど)など、おおらかな天平建築の特徴をよく捉えつつも、組物や彫刻、須弥壇(しゅみだん)の金具飾りなどには豪奢な桃山建築の特色がみられます。建物正面には昭和58年(1983)に八角灯籠1基が建立され、天平の創建当初を彷彿とさせています。
堂内では毎年4月1日から7日間、ご本尊の前に55体もの善財童子像を並べてひな会式(えしき)が行われます。ご本尊や諸仏を安置し厳格な空気が張り詰める本堂も、このときばかりは春めいた気配に包まれます。
- 重要有形民俗文化財
- 江戸時代
浴室(からふろ)
「からふろ」とは今でいうサウナのこと。現在の建物は明和3年(1766)に再建されました。内部には竈(かまど)や風呂屋形(やかた)があり、薬草を用いて蒸し風呂を焚くようになっています。昭和初期まで夏と冬に使われていました。
からふろは、掛け湯や取り湯形式ではなく蒸し風呂形式であること、また尼僧ではなく庶民のための風呂であったことの2点で、他の寺院の風呂とは大きく異なります。
古代寺院の風呂は僧侶が沐浴潔斎する為に使用されていました。しかし、からふろは「我自ら千人の垢を去らん」という光明皇后のご発願に由来し、庶民に開かれた福祉施設の原点ともいえるものでした。
- 重要文化財
- 桃山時代
鐘楼
赤門をくぐってすぐ西側、池のほとりに建ち、ひときわ雅な気配を漂わせる鐘楼。鬼瓦には慶長7年(1602)の銘を刻み、細部に桃山時代の建築様式がみられることから、本堂や南門と同時期に復興されたと考えられています。大きく反った軒と、末広の袴腰(はかまごし)とが軽快なリズムを生み、無銘の古鐘の音色を彼方へ響かせるかのようです。
- 奈良県指定文化財
- 江戸時代
光月亭
(旧東谷家住宅)
光月亭は、梅林で名高い月ヶ瀬村(現奈良市)から、昭和46年(1971)に移築されました。ゆるやかな丸みをもつ茅葺屋根。軒は深く、自然の味を生かした梁や煤竹(すすだけ)の天井、勾玉型の竈(かまど)など、まるで昔ばなしに出てきそうな懐かしい日本の家です。光月亭南側には茶室「慶久庵」もあります。
- 平成時代
護摩堂
平成16年(2004)に建立された護摩堂は、室町時代に護摩堂が倒壊して以来はじめて再興された建物です。法華寺の護摩法要は万民の病苦災厄を取り除き万人豊楽を願い、光明皇后が自ら法華経を読誦されたことにはじまります。戦前には全国社寺の中で唯一、当寺の護摩法要で祈願したお札が皇居に献納されました。毎月28日に護摩法要が営まれています。
- 昭和時代
慈光殿
仏像や仏画、経巻などを収蔵する宝物殿で昭和54年(1979)に建造されました。秋の正倉院展に合わせて公開を行っています。「国宝 阿弥陀三尊及び童子像」「四臂不動明王坐像」「阿弥陀如来立像(横笛堂本尊)」「不動明王像(湛海作、厨子入)」のほか、法華寺五重小塔(海龍王寺五重小塔を本堂古材で復元)や法華寺古瓦、土器などを展示します。
- 室町時代
横笛堂
もともとは赤門を出たすぐの飛び地境内にありましたが、現在は赤門の東側に移築されています。現在本堂にまつる横笛像を安置していたため「横笛堂」と呼ばれます。本来は阿弥陀如来を本尊とし、古代の阿弥陀信仰の一端を担ってきました。室町時代以前に建てられた、現存伽藍の中では最も古い建物で、内部装飾には鎌倉時代の様式もみられます。